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山形さくらんぼ150年の歴史とは

やまがた紅王 山形さくらんぼ 超大粒さくらんぼ

山形県のさくらんぼ栽培は2025年に150周年を迎えます。この記念すべき年に向けて、山形県の果樹栽培の歴史と現状を紹介します。

 

やまがた紅王 超大粒さくらんぼ 山形さくらんぼ

やまがた紅王は超大粒さくらんぼの新品種、期待の新星


 

さくらんぼ栽培始まりは明治期


山形県でのさくらんぼ栽培は、一般的に1875年(明治8年)に始まったとされています。しかし、最新の研究によると、その歴史はさらに遡る可能性がありますという説もあります。

 

  • 1873年(明治6年):開拓使が全国に果樹苗木の販売を通知し、山形県が初めてさくらんぼを含む西洋果樹を紹介。

 

  • 1874年(明治7年):内務省から山形県に3本のさくらんぼ苗木が配布されました。

 

  • 1875年(明治8年):県庁敷地内の園地にさくらんぼの3本の苗木と共に他の果樹(洋なし・りんご・ぶどうなど)の苗木が植えられました。

 

佐藤錦 山形さくらんぼ 美味しいサクランボ

佐藤錦は誕生から100年を超えいまだにシェアが約70%と人気を誇る


 

山形県の主要さくらんぼ「佐藤錦」


 現在、山形県では様々なさくらんぼ品種が栽培されています。代表的な品種とその特徴を紹介します。

 

佐藤錦は山形県を代表する品種で、甘みと酸味のバランスが良い特徴があり山形ではシェア約70%ある代表的な品種です。佐藤栄助が開発した「佐藤錦」の特徴は、以下の点が特筆されます。

 

交配品種:日持ちの良い「ナポレオン」と甘味の強い「黄玉」を掛け合わせた

 

開発期間:1912年(大正元年)から11年かけて完成しました。

 

 

命名由来:開発者の姓「佐藤」と「砂糖のように甘い」特性を組み合わせた造語を佐藤錦の育ての親といわれ普及に努めた岡田東作氏が命名。

 

また、佐藤錦は「果物の宝石」と称されるルビー色の外観と、甘味と酸味の調和が特徴で、開発から100年経った現在も国内さくらんぼ市場を席巻しています。その成功要因は、気候風土に適した栽培技術と厳格な品質管理にあると言えます。

 

紅秀峰 大粒さくらんぼ 晩生種さくらんぼ

紅秀峰は佐藤錦の後に収穫する大粒晩生種さくらんぼ


佐藤錦より遅い大粒品種「紅秀峰」


紅秀峰の特徴は大粒で甘みが強く、収穫期が遅い晩生種に分類されます。また、紅秀峰は、山形県が誇る比較的新しいさくらんぼ品種です。1979年に山形県立園芸試験場で「佐藤錦」と「天香錦」を交配して開発され、1991年に品種登録されました。

 

この品種の特徴は、その大粒さと高い糖度にあります。一粒8〜9グラムと佐藤錦より大きく、糖度も平均20度前後と通常のさくらんぼより甘いのが特徴です。さらに、酸味が少なく甘みが強いため、甘党の方に特に人気があります。

 

果肉が硬く日持ちが良いことも、市場での評価を高めている要因の一つです。栽培面では、樹勢がやや強く豊産性であり、開花は佐藤錦より数日早い4月下旬に始まります。収穫時期は6月下旬から7月上旬の晩生種で、佐藤錦の後に収穫が始まるため、さくらんぼシーズンを延長する役割も果たしています。

 

やまがた紅王 超大粒品種 さくらんぼ新品種

やまがた紅王は超大粒のさくらんぼ、山形県の新品種


新品種 超大粒の「やまがた紅王」


やまがた紅王:2020年に品種登録された新品種で、世界最大級の大きさが特徴。やまがた紅王は、山形県が開発した次世代のさくらんぼ品種で、その最大の特徴は驚くべき大きさにあります。直径25ミリ以上の大玉で、最大34ミリを超えることもある世界最大級のさくらんぼです。500円玉よりも大きく、「紅秀峰」よりもさらに大きいサイズを誇ります。

 

味わいは、糖度20度以上と佐藤錦並みの甘さながら、酸味が少なく上品な味わいが特徴です。果肉は硬くシャクシャクとした食感があり、日持ちも良好。果皮にツヤがあり、鮮やかな赤色の外観も魅力的です。

 

収穫時期は6月下旬から7月上旬で、佐藤錦と紅秀峰の間に位置し、山形県では将来的に栽培面積250haを目指しています。2022年の先行販売では、100グラム入りパックで2,000〜5,000円と高価で取引され、生産者からも大きな期待を集めている新品種なのです。

 

山形フルーツ150年 さくらんぼ150年

明治8年に苗木が山形県に移入され150年


 

やまがたフルーツ150周年記念事業


2025年の150周年に向けて、山形県は「やまがたフルーツ150周年」と題した記念事業を展開しています。統一ロゴマークの制作と活用などタイアップ企画の募集。ポータルサイトでの情報信。イベントの開催などが予定されています。

 

山形県のさくらんぼ栽培の歴史は、先見の明を持った先人たちの積極的な取り組みと、その後の県民の努力によって築かれてきました。150周年を機に、さらなる発展が期待されます。

 

やまがた紅王 超大粒品種 山形さくらんぼ

やまがた紅王は山形さくらんぼ150年に大きな変革をもたらす


 

さくらんぼ苗が 持込まれた明治初期


山形県でさくらんぼ栽培が始まったきっかけは、明治初期の果樹導入政策と先見の明を持った地方官僚の取り組みでした。具体的には以下の出来事が重要な役割を果たしました。

 

1875年(明治8年)に、東京から山形県に3本のさくらんぼの苗木が送られてきました。これらの苗木は、他の果樹(洋なし・りんご・ぶどうなど)の苗木とともに県庁敷地内に植えられました。

1876年(明治9年)には、初代山形県令の三島通庸が北海道開拓庁長官・黒田清隆を通じて、りんご、ぶどう、さくらんぼなどの外国品種の苗木300本を取り寄せ、山形市香澄町に試植しました。

 

同じ1876年に、山形県寒河江市では本多成充と井上勘兵衛が北海道からさくらんぼの苗木を取り寄せ、1878年(明治11年)には同市に外来種の試験場が設置されました2。

これらの取り組みは、当時の山形県が果樹栽培に積極的だったことを示しています。

 

やまがた紅王 さくらんぼ品種改良

超大粒品種やまがた紅王は大きな期待をもとに誕生した


 

何故さくらんぼ王国になったか


さくらんぼ栽培が山形県で成功した背景にはまず地の利がありました。山形県の気候がさくらんぼ栽培に適していました。特に、山に囲まれ空梅雨になることが多い環境が、雨に弱いさくらんぼの栽培に有利でした。

 

地理的条件も有利でした。冬の寒さ、夏の暑さ、梅雨の少ない降水量、台風被害の少なさ、大規模な霜害の少なさなどが、全国のどこよりもさくらんぼ栽培に適していました。栽培技術開発も盛んでした。明治期から品種改良や栽培技術の研究が行われました。

 

昭和に入り、佐藤錦の栽培が増えてくると雨除けハウスという施設開発による栽培技術など管理技術の革新と品種改良では最高品種といわれた「佐藤錦」の栽培技術が確立し、さくらんぼの用途が缶詰加工用から生食への需要が増加してくるようになった。

 

そして宅配便の誕生に伴い流通にも変革が生れてくると、重なり合った要素が刺激し、生産にも熱気が生れてきました。生産者のモチベーションも高まり「サクランボ人気」が盛上り大きな変革を迎えました。

 

そして、山形さくらんぼは大きな変革と知名度が一気に向上し特産品として全国区に躍り出ました。これらの要因が重なり、山形県は日本一のさくらんぼ産地となり、現在では日本全体のさくらんぼ生産量の約4分の3を占めるまでに至っています。

 

 

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