鶴岡市からの月山の春風景

さくらんぼの収穫は6月から佐藤錦、紅秀峰と続く
明治8年から150年目のふり返り
1875年(明治8年)に明治政府からさくらんぼや西洋なしなどの果樹の苗木が配付され、山形県庁の敷地に植えられました。2025年(令和7年)はそれから150周年の節目の年を迎えます。
この記念すべき年を「やまがたフルーツ150周年」として、実直にくだものづくりに打ち込んだ先人たちの挑戦の歴史を振り返るとともに、その思いを未来に向けて受け継ぎ、やまがたフルーツの魅力を全国のフルーツファンの皆さんにお届けしたいと思います。

さくらんぼの生産では山形県は全国トップのシェア75%
山形フルーツ150年の歴史のながれ
明治初頭、10種類のくだものの苗が山形県庁敷地内に植えられ始まった山形県の果樹栽培です。ここではさくらんぼ作りに一途に打ち込んだ先駆者たちの挑戦の歴史を振り返ります。
1868年(明治元年)
函館在住のドイツ人・ガルトネルが渡島国亀田郡七重村(現北海道亀田郡七飯町)にさくらんぼ等の外国品種の果樹を試植(国内のさくらんぼ栽培の初め)しました。この時はまだ山形県には果物の苗は植えられていません。
1875年(明治8年)
山形県(旧)では果樹10種等を県庁構内に植えました。(内、さくらんぼ3本、洋なしなど)。置賜県では果樹12種を県内に試し植えしました。
1876年(明治9年)
8月、旧山形県、置賜県、鶴岡県(現庄内地域)が合併し、現在の山形県が誕生しました。そして果樹王国やまがたの誕生も同じころになります。

ラフランス生産の8割が山形県産です。
山形県内の試験場で栽培が始まる
初代県令・三島通庸が北海道開拓庁長官・黒田清隆を通じて外国品種のりんご、ぶどう、さくらんぼの苗木300本を求め、山形市香澄町に試植する。県勧業寮から苗木が分配され、米沢市館山の農家屋敷内にさくらんぼとりんごが試験栽培される。
東置賜郡の勧業試験場(現高畠町)にさくらんぼ、西洋なし、ぶどう、りんごが試験栽培。東根市板垣新田の勧業試験場に、りんごやさくらんぼの苗木が試験栽培される。
村山市袖先地区の勧業試験場に、さくらんぼとりんごが試験栽培される。寒河江市では、井上勘兵衛が北海道よりさくらんぼ36品種を導入し、自宅の畑に植栽される。

現在も残る古い品種は高砂と佐藤錦の親ナポレオン、黄玉
1878年(明治11年)
県は、勧業試験場千歳園(現・県立山形東高校敷地)を設置(8月)。勧業寮から払い下げられた1,000本余りの西洋果樹を千歳園に試験栽培(内、さくらんぼ98本)。
1908年(明治41年)
新たに1.2haの試験園 千歳園(山形市三日町)を設置し、農商務省の補助金を受け山形県農事試験場においてさくらんぼの品種試験を実施する。フランス種14品種、アメリカ種26品種など51品種について試験栽培が始まる。

さくらんぼの収穫期は一番の繁忙期となる
山形県農事試験場が開設される
1910年(明治43年)
6月、山形県農事試験場で日本園芸会主催の第1回「桜桃名称一定会」を開催。主要品種に和名(協定名称)を付す(例:ロックポート・ビガローから高砂へ)。当時の品種「高砂」現役で現在も一部の果樹園で見受けられます。
1912年(大正元年)
東根市の佐藤栄助氏、「佐藤錦」の育成を始める。佐藤錦の生みの親である佐藤栄助氏は、果肉は甘いが柔らく保存性が低く日持ちが悪く保存性の低い黄玉(きだま)と酸味は強いが果肉が硬く日持ちするナポレオンを交配し研究と選抜育成を重ね、大正11年に初結実を実現します。
1913年(大正2年)
山形県農事試験場でさくらんぼの缶詰や瓶詰などの加工製造の試験を開始。
井上官兵衛の桜桃缶詰のラベル 缶詰工場の様子
1919年(大正8年)
山形県農事試験場の桜桃缶詰加工試験の製品を東京三越呉服店に陳列、好評を得る。

山形新幹線 さくらんぼ東根駅前の佐藤錦モニュメント
昭和の戦後復興からさくらんぼ生産
1945年(昭和20年)
山形県農事試験場でさくらんぼの栽培特性の調査を開始(1949年まで)。
本県での栽培に適する品種として「日の出」「ジャボレー」「黄玉」「ナポレオン」「高砂」「佐藤錦」を選定。
1956年(昭和31年)
本県のさくらんぼ収穫量が戦前の最高記録を上回る。

佐藤錦は誕生から100年を超えいまだにシェアが約70%と人気を誇る
1959年(昭和34年)
栽培面積が戦前の最高記録(昭和16:497ha)を上回る(全国1位)。
1965年(昭和40年)
山形県立園芸試験場(寒河江市)を設置。果樹の品種改良や栽培技術などの中心機関として設置される。
1973年(昭和48年)
生食用に佐藤錦が脚光を浴び雨除けハウスと共に躍進する。生食向けさくらんぼの生産拡大による労働力不足と雨よけ施設の普及を背景に寒河江市に観光さくらんぼ園が開園始まる。
第1次オイルショックの影響で、缶詰の業務用需要が縮減し、加工向け価格が暴落。さくらんぼの缶詰需要は激減し、生食用の時代になる。

さくらんぼ狩りで賑わう果樹園 東根市にて
観光さくらんぼ園の開園ふえる
1974年頃(昭和49年)
この頃から本県さくらんぼの生食向けの比率が高まる。
昭和45年生食向け2,290t(22.9%)加工向け7,700t(77.1%)
昭和55年生食向け6,330t(62.1%)加工向け3,863t(37.9%)
1983年(昭和58年)
さくらんぼが史上最高の大豊作を記録(収穫量20,400tで全国の約85%)

近年の異常気象は山形さくらんぼにとって脅威になる
1988年(昭和63年)
佐藤錦の栽培面積がナポレオンを抜き最大となる。佐藤錦798ha、ナポレオン677ha、計1,660haで全国の約61%(収穫量は14,600tで全国の約79%)。
1991年(平成3年)1979年に佐藤錦と天香錦を交配して誕生した「紅秀峰」が品種登録される。
2008年(平成20年)
本県のさくらんぼの栽培面積が過去最大となる(栽培面積3,180haで全国の約61%。収穫量は10,700tで全国の約71%)。
2018年(平成30年)
本県のさくらんぼの産出額が過去最大となる(産出額374億円で全国の約83%)

新品種やまがた紅王は500円硬貨サイズで人気
佐藤錦から大粒新品種への期待
2020年(令和2年)
大玉新品種「やまがた紅王(品種名:山形C12号)」が品種登録される(1997年に交配。20年かけて品種育成を行い2017年に品種登録出願)。※「やまがた紅王」は登録商標。
2022年(令和4年)
知名度向上とPRのため、「やまがた紅王」が少量先行販売される。
2023年(令和5年)
大玉新品種「やまがた紅王」本格デビュー。記念すべき第1回大玉コンテストの優勝果重は1粒18.1g。
2024年(令和6年)
「やまがた紅王」本格デビュー2年目。第2回大玉コンテスト優勝果実の「やまがた紅王プレミアム」は10粒1万5千円で販売される。
▼サクランボの収穫から発送まで