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山形日記

西廻り航路と酒田湊そして川村瑞賢

山居倉庫 西廻り航路 最上川

庄内の丸餅は西の文化


山形県ばかりか東北全域では、鏡もち以外は切りもちが一般的なのですが、庄内地方だけは何故か丸餅の文化になっています。調べてみると、丸もち文化が一般に見られるのは関西以西であり、東北では珍しいよう。

なぜ西の文化が庄内地方に?よく言われるのが、最上川舟運が発達していた時代の北前船の影響。江戸の寛文年間、西回り航路が整備されて、最上川流域は京都、大阪と直結し、物資とともに文化の交流がさかんに行われていた証です。

 

そのため、県内各地に西の文化が残っている。たとえば、酒田まつりや新庄まつりの山車。原型は祇園まつりの「山」が起源とされる。丸もちも、最上川舟運の基点である庄内地方に北前船がもたらした関西文化ではないかと言われます。

 

酒田湊 六角灯台 北前船

北前船でにぎわった頃に酒田湊の六角灯台


 

お米の道として西廻り航路


この庄内地方に関西の文化を運んできた江戸時代の西廻り航路について考えてみたいと思います。江戸時代、日本海沿岸から西に進み下関・瀬戸内海を経て大坂に至る航路寛文年間(1661〜73)加賀藩が下関経由で大坂へ廻米したのに始まります。

 

1671年河村瑞賢が出羽最上地方の幕府米を西廻りで廻送するため西廻り航路を整備してから発達した北前船が活躍します。前後して、寛文 12年(1672年)、江戸幕府の命を受けた河村瑞賢は、出羽国(現在の山 形県、秋田県)の天領(幕府直轄領)で取れた年貢米「御城米」を、酒田から江戸まで早く安全、確実に運ぶための水上輸送航路を整備します。

 

北前船 千石船 酒田湊

酒田市日和山に浮かぶ千石船のレプリカ


 

 

年貢米を最上川で酒田湊に


瑞賢は各地に人を派遣して航路を調査し、酒田には御城米を保管するための御 米置場、通称「瑞賢庫」を造りました。瑞賢庫があったのは現在の日和山公園。ちょうど瑞賢像が見下ろしている場所です。

 

こうして着々と準備が進み、5月に酒田湊を出発した御城米船は、日本海を西 に進み、瀬戸内海を通り大坂を経て、無事7月に江戸に到着しました。これが、 北前船が行き交う物流の大動脈となり、酒田湊ににぎわいをもたらした「西廻り 航路」の始まりです。

川村瑞賢 西廻り航路 北前船

酒田市日和山にある川村瑞賢像


 

伊勢の国生まれ川村瑞賢


川村瑞賢は伊勢国(現在の三重県)で生まれ13歳で江戸に上がり、荷車引きから身を起こして材木商となりました。1657年に起こった明暦の大火後の江戸再建に手腕を発揮し、さらに新川の開削工事を成功させた瑞賢は、その実績を幕府に買われ、数々の公共事業のプロジェクトリーダーとして活躍します。

 

1671年から1672年に整備された東廻り・西廻りの海運航路は、瑞賢をリーダーとして進められた一大国家プロジェクトでした。江戸に出て材木商となって財を成した瑞賢 は、なぜこの大事業に抜擢され、どのように整備を進めたのでしょう。

 

天領(幕府直轄地)の年貢米、御城米を早く安全に運ぶために整備された西廻り航路 が出来たのは今から350年前の寛文12年(1672)です。幕府の 命を受けた河村瑞賢が、日本海廻りで酒田と江戸を結 ぶ「西廻り航路」を整備し、出羽国の天領(幕府直轄領 地)の年貢米を酒田から江戸に送りました。

 

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西廻り航路 最上川 北前船

人口爆発する江戸に天領の米を運ぶための手段として西廻り航路が


最上川流域の天領のお米


天領の年貢米は「御城米」とも呼ばれます。西廻り航 路開設以前、最上川流域から集められ酒田湊から積み 出された御城米は、敦賀で陸揚げされ、琵琶湖を経由 してさらに陸送、海送を経て江戸に送られていましたが、何度も積み替えや蔵入れを行うため米が傷み、日 数がかかるうえ、費用がかさんで米の値段が高くなりました。

 

このため、江戸の人口が急増し米の需要が高まって くると、幕府は西廻りまたは東廻りの海路による御城 米の直送を試みます。「振袖火事」として知られる明暦 の大火など、度重なる火事でひっ迫した財政を立て直すために、重要な財源である御城米を、早く、安全、 確実に江戸に集める必要もありました。

 

西廻り航路 東回り航路北前船

東廻りと西廻りの航路が出来る


 

出羽の国から江戸までの海運


万治2年(1659)、江戸商人の正木茂左衛門らが 寛文12年(1672)、江戸幕府の命を受けた河村瑞賢は、出羽国(現在の山形県秋田県)の天領(幕府直轄領)で取れた年貢米「御城米」を、酒田から江戸まで早く安全、確実に運ぶための水上輸送航路を整備します。

 

こうして着々と準備が進み、5月に酒田湊を出発した御城米船は、日本海を西 に進み、瀬戸内海を通り大坂を経て、無事7月に江戸に到着しました。これが、 北前船が行き交う物流の大動脈となり、酒田湊ににぎわいをもたらした「西廻り 航路」の始まりです。

 

北前船の登場となり、船は瀬戸内海をとおって大坂、江戸へ向かう西廻り航路か、津軽海峡をとおって江戸へ向かう東廻り航路を利用しましたが、西廻り航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました。なぜ北前船と呼ぶのかについては、北廻り船がなまったという説、北前とは日本海の意味で日本海を走る船だからという説など諸説あるようです。

 

出典:酒田市史、日本海事広報協会ほか

参考文献:山形県の歴史、最上川舟運と山形文化、羽州山形歴史風土記、北前船の近代史、藩物語 庄内藩、藩物語 山形藩、庄内藩幕末秘話、ほか

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