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ばっちゃん物語

■山形のばっちゃんが子供だったころ

◆◆ ばっちゃん物語  第3話◆◆

 

■山形のばっちゃんが子供だったころ

ばっちゃんが生まれたのは、昭和の初め、一桁世代です。
8人兄弟の下から2番目。もちろん戦争の苦しかった記憶もしっかり残っています。
生家は山形の農村部の平均的な農家をしていました。

決して豊かとはいえないモノのない時代でした。
大家族なので、みんな助け合って生活しているので子供だからと遊んでいることもできないから
小さい子供の世話(子守)や家業の手伝いは欠かせません。

子供のころから元気で体格も良かったので小学校のころから
農家のお手伝いは得意でした。

当時は機械化もされていなかったのですべて手仕事、小学生の上級の頃には
田植えも稲刈りも大人と肩を並べるくらいで一丁前の仕事することで
家族にもほめられ、得意になっていました。

決して裕福ではなかったけれど、その頃のそれなりの暮しが出来る程度といえます。
何より、みんなが仲良く暮らして笑顔が絶えない大家族だった。
そして、みんなに愛されて育ちました。

まわりの家族が良く褒めて子育てをしていた。そして良く働いていた。
そんな、心やさしい温かい家庭で育ったことは何よりでした。
だから、お手伝い上手であんなに働くこどもの育ったんでしょうね。

俗にいう「働き者」と村では評判の女の子だったんですね。

その頃の小学校では、農業が忙しい時期になると学校をお休みにして、家の農業を手伝うのが当たり前
田植え休み、稲刈り休みは何日もあったので、家の人に褒められるお手伝いは
朝早くからだったけど嫌ではなかったのです。

そんな繁忙期は、よそから働きに来る労働者に交じって先頭になって農作業するようになってから
大人の会話にも交じることになり、口のきき方も少しおませな女の子にそだってしまいました。

何しろ褒められることが何より嬉しいし、両親が褒め上手だったお陰です。

なのでばっちゃんは、子供の頃から働き者で、仕事も上手だったから
働くことを嫌だと思ったことはないのです。

一日の仕事をおえて夕飯をお腹いっぱい食べると、大好きな家族に囲まれて寝るまで
わずかな時間を家族の笑い声につつまれて楽しく過ごすのでした。

その夜も空にはこぼれ落ちそうな満天の星が輝いていました。

(続く・・・)


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