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山形日記

山形の紅花 舟運と時代

紅花 べにばな 最上川

 

紅花はシルクロードから京染


原産地の中近東から、シルクロードを経て、3世紀頃に日本に渡来した紅花は、近畿地方で栄え、次第に全国に広まっていったといわれています。安土、桃山時代から江戸時代にかけて、藍茜、紫根とともに代表的な染料植物として京染めなどに使われてきました。

 

山形県で紅花の栽培が始まったのは室町時代末期(15501570年頃)と考えられています。江戸時代の中期を境に、最上川流域(出羽最上)で急速に栽培が拡大していきました。

 

紅花は、花弁から染料や口紅の元になる色素がとれることから、古くから南西アジア・北アフリカを中心に広く栽培されてきました。山形県では江戸時代に最上紅花の栽培が盛んでした。

 

北前船 千石船 弁才船

千石150t積載した千石船レプリカ


 

西周り航路北前船交易で京都に


最盛期の江戸時代には、上流の米沢から中流の村山地域、下流の酒田まで県内を流れる最上川の舟運によって「紅餅」を集め、酒田から北前船で京都まで運んで おり、現在まで 450 年以上の歴史を有しています。

 

品質がどこより高い高級品としてブランド化されて最上紅花と呼ばれました。紅花は、華麗な西陣織や化粧用の紅に加工されて日本人の暮らしを彩りました。紅花に含まれる赤い色素はわずか1%。収穫後によく洗って黄色素を取り除き、丸めて干して乾燥させた紅餅の状態で出荷しました。

 

山形産の紅餅は品質の良い高級品で「最上紅花」と呼ばれ、その交易が当地に経済的発展をもたらました。

 

紅花 べにばな 紅餅

紅花は加工されて紅餅にされ流通した


 

紅花は加工して紅餅に


紅餅とは、紅花の花びらを臼や杵でつぶし、一晩発酵させたものを丸めて平たく成形し、日陰で乾燥させたものです。紅餅は、紅花の紅を取り出すための加工法の一つで、紅屋や染物屋などに卸されます。

 

紅餅は、乾燥花よりも赤い色素が多く抽出できるという利点があるため、江戸時代には紅餅に加工してから出荷されていました。現在でも山形県では昔ながらの加工法で紅餅が作られています。

 

紅餅は、紅花染や口紅の原料として使われます。紅花に含まれる赤い色素はわずか1%で、収穫後によく洗って黄色素を取り除いた後、丸めて干して乾燥させた紅餅の状態で出荷されます。

 

べにばな 紅花 紅餅

紅花の生産量は全国有数を誇り紅花商人が活躍しました


 

紅花の名前の由来は


紅花は、花びらの細い、アザミに似た形のオレンジや黄色の花を咲かせる一年草です。咲きはじめは黄色ですが、咲き進むにつれて紅色に変化していきます。紅花の名の由来は、古くから花が紅色の染料として使われてきたことにちなみます。

 

いまの山形県の地域に紅花が入ってきたのは、室町時代末期と考えられていますが、江戸時代の中期を境に、最上川流域(出羽最上)で急速に栽培が拡大していきました。

 

享保年間(17161736)のある記録によると、全国の出荷量は1,020駄で、出羽最上はそのうち415駄を出荷していました(1駄は32貫=120kg)。とくに西暦1800年前後からの100年間は、最上川の舟運を通じて、近江商人と山形商人が活躍し、「最上千駄」と言われるほど発展しました。

 

紅花 べにばな 紅餅

最上川流域の肥沃な土壌が紅花の産地に


 

紅花の栽培の最盛期と番付


最盛期の幕末・文久(18611864)のころには、舟運の中継地であった大石田(現・大石田町)に集まった紅花は1,550駄に達したと記録されています。なお、これらの出荷量から推測すると、8001,523haの作付け面積があったと推計されています。

 

 

 また、日本の特産物の番付を決めた「諸国産物見立相撲番付」では、東の関脇が「最上紅花」で、西の関脇が「阿波の藍玉」とされており、これが江戸時代の二大染料でした。

 

 

山形県で紅花が育てられた理由は、気候や土壌が栽培に適していたことと、京都への水上輸送がスムーズだったからです。

 

最上川 舟運 紅花

山形県を約220㎞に縦断する最上川は経済の大動脈


 

山形県の県花としての紅花


紅花は、鮮やかな朱色を染める染料となる花で、山形県の県花でもあります。紅花は、古くから染料や口紅の原料として利用されてきました。

 

 

紅花は、最上川がもたらす肥沃な土壌と朝霧の立ちやすい気候風土が育むため、最上川流域で広く栽培されるようになりました。江戸時代初期には、全国生産量の5060%を占め、質・量ともに日本一の紅花産地となりました。

 

 

紅花は、華麗な西陣織や化粧用の紅などに加工され、また冷えに効く血行を良くする薬などにも利用されました。

 

 

京文化 雛祭り 西廻り航路

紅花を西廻り航路で流通し帰りには京都の雅が流入する


 

紅花商人の活躍と役割


最上川流域では、なぜ紅花の大産地が形成されたのでしょうか。気候・土壌が栽培に適していたということもありますが、山形の他に、奥州福島・奥州仙台・奥州三春・西国肥後・尾張・遠江・相模などでも生産されていました。

 

最上紅花は品質が良いとされていたのは、ただ単に気候・土壌が決定的な要因だったというわけではなさそうです。

 

むしろ、最上川の舟運で山形と京都や大阪が深く結びつき、紅花商人たちが活躍したことが、産地を盛り上げブランドの拡大に繋がったと考えたほうがいいかもしれません。

 

 

▼山寺が支えた紅花

 

 

出典:日本海事広報協会、河北町紅花資料館ほか

参考文献:山形県の歴史、最上川舟運と山形文化、羽州山形歴史風土記、北前船の近代史、藩物語 庄内藩、藩物語 山形藩、庄内藩幕末秘話、ほか

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