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山形日記

庄内地方の食文化と歴史

月山 庄内平野

庄内の野菜と食の文化


山形県西部に位置する庄内地方は日本海沿岸に約35キロと、長さ日本一を誇る砂丘が続き、日本三大砂丘の一つともいわれます。庄内平野のお米を庄内砂丘が暴風雨林で守る形で平坦な平野が続きます。

 

日本海の海の幸、平野の庄内米、庄内野菜をはじめとする特産の農産物や在来野菜を育んできました。そして、平野を囲む山地の恵みが豊富な食豊かな地域になります。

 

庄内平野南部の鶴岡市は月山をはじめ山々から広大な庄内平野、日本海へと至る変化に富んだ地形の中で、海の幸・山の幸に恵まれた豊かな食文化を先人たちの知恵と情熱によって独自の食文化を今に伝えています。

 

庄内砂丘 庄内平野 鳥海山

庄内砂丘は南北35kmの日本3大砂丘


 

庄内平野北部と日本海の海運


庄内平野北部の酒田市は、古くから、出羽国の中心として栄え、9世紀には出羽国府も置かれた地です。

 

江戸時代に入り、日本海沿岸や内陸河川交通の要地として多くの豪商が軒を並べ、なかでも「鐙屋」は、元禄年間、井原西鶴の「日本永代蔵」に北国一の米問屋と記されたほどの力を誇りました。

 

山居倉庫は1893年(明治26)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に建てられました。舟による米の積み下ろしに便利な立地で、12棟の巨大な木造の倉庫を連ねた美しい建物と、最上川側のケヤキ並木が独特の風情を伝えています。

 

建設された14棟のうち12棟が残っており、現在も米穀倉庫として使用され、一部は「庄内米歴史資料館」や観光物産館として今も活躍。

 

山居倉庫 米穀取引所 庄内平野

山居倉庫は米穀の取引所として、舟運にも活躍した


 

日本海と最上川な舟運文化


寛文12年(1672年)には、河村瑞賢が西回り航路を開拓し、北前船が、日本海側の北海道、北陸、山陰、下関、瀬戸内海を経て大坂、江戸と往来し、米や紅花、藍、海産物などを運び大いに栄えました。

 

江戸中期の回船問屋は97軒を数え、その蔵には当時の金で200万両分の物資が詰まっていたと言われ、江戸の海運の全盛期であり、酒田港の黄金時代であったといえます。

 

今でも西回り航路と北前船によってもたらされた京都を中心にした上方の文化の名残が多く残されています。ちなみに庄内のお正月のお餅は東北で唯一丸餅が定番となっています。

 

だだちゃ豆 在来野菜 在来作物

だだちゃ豆は農家が独自に種を選抜淘汰を続けて進化してきた


だだちゃ豆 在来作物と食文化


そして、庄内北部に目を向けると羽黒山を中心にした山岳信仰文化があります。1400年以上にわたり信仰を集める山岳修験の聖地「出羽三山」には、自然とその山の恵みを仏教が伝えた精進料理とは違った「生きるための精進料理」として今に伝えられています。

 

また、家庭でも祭りと精神性を分かち合う「行事食・伝統食」が数多く継承され、庄内の風土に息づいた精神文化と結びついた独自の食文化が色濃く残っています。

 

そして、だだちゃ豆のような在来の作物は農家の人々が数百年にわたり「種」を守り継いできました。そのような「在来作物」は60種類以上確認されており、その栽培方法とともに継承された作物は「生きた文化財」として、訪れる人々を魅了しています。

 

出羽三山 湯殿山 月山

山伏の修験の山として出羽三山は独自の食文化を伝えている


庄内平野の民間の篤農意識


およそ百年前、米づくりに生涯を捧げた山形県庄内町の篤農家「阿部亀治」氏が、幾多の苦労の末に育て上げた稲「亀ノ尾」は、近代日本の美味しいお米の始祖となり、「コシヒカリ」や「ササニシキ」などにその、冷害、病害に強い性質と良食味性が引き継がれてきました。

 

この「亀ノ尾」のDNAを受け継いだ「つや姫」は、山形県立農業試験場庄内支場(現 山形県農業総合研究センター水田農業研究所)において、平成10年から育成が進められました。

 

米どころ山形県が総力を挙げ、科学的総合研究のもと、品種開発チームの飽くなき探求心と10万分の1という稀有な確率で選抜され、県産オリジナル品種「つや姫」は誕生しました。

 

庄内平野 米作り 鳥海山

庄内平野の米作りは篤農の気質が品種改良を支えた


 

旬の恵みと独自の食文化


庄内平野は北に鳥海山2236m東には月山1984mmと周辺の山々から海抜ゼロメートルまでの高低差が幅広い温度帯をつくり出しています。

 

その四季の変化がもたらす独特な気候により、驚くほど多種多様な農産物や山菜など豊かな「食」を生み出してくれます。

 

また、西側の日本海では、対馬暖流とリマン寒流の影響で季節ごとに旬の地魚が130種類も水揚げされ、市の北部には日本有数の穀倉地帯である庄内平野が広がっており、山岳、山里、日本海の大自然が独自の食文化を育んできました。

 

こうした歴史と食文化を背景に、鶴岡市は平成26年(2014)12月に「ユネスコ食文化創造都市」に認定され、大切に受け継がれてきた鶴岡の食文化は、日本人が本来もつ食の豊かさと、その原点を気づかせてくれる「食の理想郷」へと、その一歩を踏み出しました。

 

庄内柿 種なし柿 渋柿

庄内柿の里、松ヶ岡は幕末に開墾された耕地に庄内柿を植えた


 

庄内藩士の開墾事業と庄内柿


さて、今回は庄内藩士の開墾に始まる柿のお話です。時代はずっと遡り幕末から明治に代わる頃の庄内藩の顛末になります。当時、徳川譜代の庄内藩は賊軍と呼ばれ、江戸を落ち会津、米沢と共に戊申戦争を最後まで戦い恭順して終ります。

 

藩主の謹慎、公地没収などの処分を受ける中、明治四年には廃藩置県となり、月山山麓の原野 松ヶ岡を開墾する一大事業が持ち上がります。また庄内柿は松ヶ岡の開墾に当初から参加した旧庄内藩士酒井調良という人が、松ヶ岡経営の将来、武士の未来を考え、養蚕に続く作物として開発した作物なのです。

 

当時は難しかった渋柿の渋を抜く方法を独自に開発して松ヶ岡に限らず広く庄内地方の農家のために技術を惜しまず普及に努め、販売を東京、北海道にまで広げる営業活動までもしたのです。

 

 

▼在来作物 庄内柿 松ヶ岡にて

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