サンふじとは
サンふじと「ふじ」りんごとしての品種は同じものです。栽培方法が違います。サンふじは無袋栽培のふじリンゴを指します。
無袋ふじは無袋栽培のりんごは、太陽光をたくさん浴びるため、一般的に有袋栽培のものよりも糖度が高く蜜が入りやすいと言われています。
無袋のりんごは販売時に「サン(太陽のサン)」が品種名の前につけられ、つまり「サンふじ」とは、無袋ふじを指しています。山形県の山間の町、朝日町でこの無袋ふじの栽培方法が確立されブランド化されました。
無袋栽培することで、蜜入りが良くなり糖度も上がります。反面、蜜入りが良くなることで保存性がやや下がることや表皮がやや厚くなります。
有袋ふじとは
有袋栽培は、果実に袋をかけて栽培することです。有袋栽培のふじを有袋ふじといいます。果実の小さいうちから袋をかけ遮光し、秋に袋を取り太陽に当て着色させると、外観が鮮やかなりんごになります。
甘さが控えめになると言われていますが、無袋栽培より日持ちが良いため、年間を通して流通させることができます。また、袋かけによって病害虫から果実を守る効果もあります。
近年は袋掛け作業に手間がかかることから無袋栽培のサンふじに圧されているようですが、最大の特徴である保存性の高さは「ふじ」の通年流通するための大事な要素もあります。もちろん保存を高めるテクノロジーも大きな進歩を見せていますから、年中、おいしいふじリンゴを食べることが可能になりました。
サンふじとふじの特徴
●サンふじ(無袋ふじ)
「ふじ」よりも糖度は高く蜜が入りやすい他品種に比べ貯蔵性は高いが有袋栽培の「ふじ」ほどではありません。販売時期の目安は11月上旬~1月ごろまでで、産地によって違いはありますが、あまり遅くまではありません。
●ふじ(有袋ふじ)
サンふじよりも糖度はやや低い、蜜は入りにくい。果皮はふじより薄く、皮ごと食べやすい特徴があります。どうしても陽に当てないため、表皮が薄く出来上がり肌がきれいなリンゴに仕上がります。
貯蔵性はサンふじよりも高いく、販売時期の目安は4月~8月ごろ(秋に収穫したものを冷蔵保管し、サンふじが販売を終了する、品切れする頃から店頭に並び始める)
ふじの名前の由来
ふじの名称の由来は誕生の地から、富士山、山本富士子さんも関わっているとか、日本を代表するりんごの品種「ふじ」は、青森県藤崎町が生まれ故郷。「ふじ」の名称も、日本を代表する山、富士山と、藤崎町が誕生の地であることから一字をとって「ふじ」と命名されました。
日本におけるふじの生産量は、1982年にデリシャス系統を抜いて以降、現在まで生産量第一位の座を誇っています。また、2001年の品種別生産量では、世界一にもなりました。
ふじリンゴの分類
ふじはリンゴの分類からすると晩生種に入ります。寒さによって蜜入りが良くまた、甘みと酸味のバランスが良い、世界中で愛されているりんごの品種のひとつです。
ふじの分類としては収穫期は遅い方で晩生種の11月上旬になります。育成者は 農林水産省園芸試験場東北子支場(当時は藤崎町にあった)1938年(昭和13年)4月に藤崎町に「農林省園芸試験場東北支場」が開場されました。約18.5ヘクタールの広大な場所です。
寒冷地の園芸作物の試験研究を行い、数々の成果を生み出しました。その1つがりんご「ふじ」の育成です。この名は藤崎町の地名と名峰富士山にあやかっています。
1962年(昭和37年)、盛岡市の国立試験場に移転し「園芸試験場盛岡支場」に統合されました。現在、跡地には弘前大学藤崎農場、県立弘前実業高等学校藤崎校舎(旧藤崎園芸高等学校)、藤崎町営住宅などみどり団地があります。
ふじの誕生物語
「デリシャス」の花の花粉を「国光」の花のめしべに交配したものから、後に「ふじ」となる品種が生まれました。りんごとしての食味の良さは抜群のものがあり、保存性にも優れ申し分のない高品質のりんごの誕生でしたが、栽培の難しさは関係者を悩ませ、中々栽培が広がっていきませんでした。
青森県のりんご農家は栽培に消極的でした。しかし、生産者の一人である齊藤昌美氏(「ふじの育ての親」と呼ばれている)はいち早く「ふじ」の優れた食味や貯蔵性の高さに目をつけ、「このりんごこそがこれからの主力品種になる」と確信しました。
数々の苦労を乗り越え「ふじ」の栽培方法を確立しました。齊藤氏は「ふじ」を栽培したいと希望する生産者には惜しげもなく自分が育てた「ふじ」の木から枝を切り、分け与えました。こうした齊藤氏らの功績により、「ふじ」の栽培は広まっていきました。
ふじりんご育ての親
斎藤昌美氏(1918~1991)は青森県では育ての親として知られています。 齊藤昌美は弘前市一野渡のりんご生産者で、品種「ふじ」の普及に大きく貢献した人物です。「ふじ」がまだあまり多く栽培されていない頃、齊藤昌美はいち早くその優位性を見抜き、「ふじ」の栽培に力を入れ栽培方法を確立しました。
ふじの実力が未知数であった頃から、ふじの可能性を見抜き大きなリスクを背負いながらふじの普及に努めました。多くの生産者が協力しないと市場に対して一定の生産規模がないと相手にされないことも良く理解していたからにほかなりません。
私財をなげうってふじを
斎藤昌美氏は「ふじ」を栽培したいと願い出る生産者に対し、自分が育てた「ふじ」の木から枝を分け与えてあげました。これが「ふじ」が広まるきっかけとなっていったのです。
その後「ふじ」の食味の良さが消費者に受け入れられ、今では世界中で最も多く栽培される品種となっているのです。 弘前市りんご公園には、斎藤昌美が多くの生産者に枝を分け与えた木である『準原木』を植栽しています。
とても広い公園で子供たちが遊ぶ楽しい場所です。ご来園された際には是非「ふじ」が広まる礎となった木をご覧ください。
▼ふじの花が咲いたよ